| 1891年(明治24年) |
鎌倉市雪ノ下に養生所(診療所)開設(清川来吉) |
| 1902年(明治35年) |
鎌倉市小町(現清川病院の場所)に鎌倉養生院(病院)を開設。一般病床がほぼ20床だったらしい。 |
| 1914年(大正3年) |
養生院内に結核伝染病隔離病床13床増設 |
| 1915年(大正4年) |
名越にも逗子・鎌倉両町共有の伝染病隔離病舎設立(清川来吉管理)
|
| 1920年(大正9年) |
一般病床を内科・外科・耳鼻咽喉科・産婦人科合計21床として届け出、他に結核・伝染病床13床
|
| 1924年(大正13年) |
人工気胸器、クルシマン氏電気装置、人工太陽灯装置、レントゲン装置など設置(清川渉)一般病院としてかなり早い時期の設置です。ちなみに人工気胸が日本で行われるようになったのは1930年頃(昭和5年)からで、その年の日本医学会で研究報告があってからです。
|
| 1928年(昭和3年) |
東京駅八重洲口近くに分院 |
| 1930年(昭和5年) |
藤沢市遊行寺近くに分院(東京は廃止) |
| 1931年(昭和6年) |
藤沢市片瀬に分院(上記分院廃止) |
| 1934年(昭和9年) |
上記分院廃止 |
1935年(昭和10年)
の記録 |
一般病床21床 結核・伝染病床17床入院料以外に別料金科として、X光線料、理学的療法料、特別検査料、特別注射料、特価薬代、消毒材料費、付添看護料、特別処置料、伝染病室消毒料etsとある。
|
| 1949年(昭和24年) |
病床変更 一般病床4床 結核病床44床 伝染病床13床、結核患者急増のために結核病床増設、全国的にも結核病床と法定伝染病隔離病舎併設している病院は珍しく、戦後鎌倉で大変流行した赤痢やチフス患者の収容に活躍大であった。
|
| 1951年(昭和26年) |
医療法人養生院(財団)認可おりる。 理事長 清川来吉 |
| 1961年(昭和36年) |
医療法人養生院(財)清川病院と改称 理事長 清川謹三 |
| 1968年(昭和43年) |
清川病院敷地内に鎌倉市立伝染病隔離病舎(30床)が新築さ れ、その運営を鎌倉市から委託される。
一般病床75床 結核病床15床 伝染病床30床。この後一般病棟の改築を次々と行って一般病棟の増床を行い、昭和40年代から問題となっていた救急患者受け入れに努力した。この時期は清川謹三理事長が県医師会副会長として県の救急体制確立に努力していた時期に重なる。かつ結核患者の減少に伴い、 |
| 1988年(昭和63年) |
結核病床廃止、一般病床222床 結核病床0床 伝染病床30床とした。 |
| 1993年(平成5年) |
最後の改築が完了し一般病床198床 伝染病床30床。この最後の改築の理念は、以下の通り。
限られた医療資源の枠内で、高齢化社会、特に高齢者の多い旧鎌倉市内の病院としての役割を果たす事であり、成人病や、高齢者の急性・慢性疾患を包括的に見る病院にという理由から、内科の
他、特に高齢者に関係ある、眼科(特に手術も)・整形外科・脳外科などを標榜、同じ理由からリハビリテーション室は大きく設計されている。また、高齢者に負担の少ない、しかし充分な検査のできる体制をという事から、ヘリカルX線CT,MRIなどなど新鋭の医療機器を設置した。 |
| 1997年(平成9年) |
一般病床から25床を療養型病棟へ転換開始―上記の理念を反映している。 |
| 1998年(平成10年) |
新伝染病予防法により、地域の必要伝染病隔離病床数が大幅に削減された結果から、鎌倉市立伝染病隔離病舎は廃止された。無償払い下げを受けたその建物を改装して |
| 1999年(平成11年) |
療養型病床に転換し、この時点で
一般病床89床 療養病床109床 合計198床
明治の創業以来病院機能の変化は、
となり、正しく社会の疾病構造の変化を反映したものとなっている。この延長上に力点を置いて、 |
| 2001年(平成13年) |
介護老人保健施設「かまくらしるばーほーむ」(入所78床、通所16人/日)が、清川病院の隣
接地(清川来吉の診療所だった所で清川自宅敷地)に開設された。 |
| 2003年(平成15年) |
4月:婦人科医の清川まどか(清川正男理事長の三女)入職。
7月:婦人科(女性診療科)開設。 |
| 2007年(平成19年) |
7月:16列マルチスライスCTスキャナ及びX線乳房撮影装置(鎌倉市指定機種)導入
|
| |
●参考文献:清川病院史(1993刊行)
|