清川病院の歴史

1902年(明治35年)7月1日

清川来吉

鎌倉養生院(のちの清川病院)が設立される。
清川来吉により鎌倉養生院(のちの清川病院)が現在地に設立される。

大正時代の段葛。右端の看板が清川病院。

1923年(大正12年)9月1日
関東大震災

当時の第一病棟

この地震により鎌倉養生院の往来の病舎は全壊する。竣工したばかりの赤煉瓦の洋風2階建の新築病舎も大きな災害を受けたが、病棟そのものは倒壊は免れた。
若宮大路を挟んで西側は焼野原、東側はほとんど建物が倒壊した中で、この新築病舎だけが道行く人々の目に留まったとのことである。

1923年(大正12年)12月24日
清川来吉が鎌倉町長に再任

前任の早川町長が病気により辞任したため、清川来吉が町長に再任する。
以降、清川町長の下で着々復興事業が進められる。

1924年(大正13年)

清川来吉、鎌倉郡医師会長に就任

1927年(昭和2年)
外来診療所新築と第一病棟の増築

昭和初期の清川病院

清川渉がヨーロッパ留学した際に購入した最新の医療機器を設置するために、洋式木造2階建の外来診療所を建設する。
続いて、第一病棟を西側に延長して増築する。

1934年(昭和9年)

清川 渉

清川渉、鎌倉郡医師会長に就任(12月)するものの、急死する(3月)。
清川謹三がその後を継ぐ。

1935年(昭和10年)

伝染病棟をとり壊して、新しい伝染病棟(第2病棟)を建設する。

新第2病棟
取り壊された旧伝染病棟

1939年(昭和14年)

清川 来吉

清川来吉、初代鎌倉市長となる

1942年(昭和17年)12月

清川来吉の長年の鎌倉町政・市政への絶大なる貢献に対して鎌倉市から「終身市ノ名誉職二準シ禮遇ス」の待遇を受ける

戦後の清川病院

終戦後は国民の栄養状態はもちろん、衛生環境も悪く、赤痢、チフス、パラチフス等の伝染病が大量に発生していたが、清川謹三はこれまでに習得した医学を生かし、患者の治療に全力を注いだ。
また、当時国民の多くが感染していた結核についても、清川謹三はその予防対策に取り組み、昭和52年には財務法人結核予防会総裁より、結核予防功労賞の表彰を受ける。

1951年(昭和26年)

清川 謹三

県知事より医療法人の設立を許可され、翌1952年より、医療法人「養生院(理事長:清川来吉)」が鎌倉養生院を継承した。

1966年(昭和41年)
看護依託学生制度開始

昭和40年代の看護依託学生

以降、370名の看護学生を採用している。

1969年(昭和44年)
構造設備変更許可

一般65、結核15、伝染病30の計110床

1967年(昭和42年)
第三病棟新築

第三病棟にあった調理室を一時的にプレハブに移動して、鉄筋コンクリート3階建、冷暖房完備の病棟を建設する。面積は延804.87平方メートルで、落成式は翌1968年7月20日に行われる

第3病棟
新第3病棟を臨む清川謹三

1970年(昭和45年)

一般74、結核21、伝染病30の計125床

1971年(昭和46年)

清川病院のシンボルマークが定められる。
シンボルマークのデザインは東京芸術大学工芸科在学中の渡辺賢一氏によるものであり、マークの中の園は患者を表わし、半円形のどだいは職員を表している。
清川病院という大円の施設の中で、職員が患者の健康回復と社会復帰を温かく包み支えている様子をシンボライズしたものである。

1973年(昭和48年)

学校法人鎌倉女学院の理事長に就任

1977年(昭和52年)
第六病棟、続いて第五病棟建設

第六病棟は鉄筋コンクリート地上2階建で、1階は給食棟、食堂も広く職員が一度に40名ほど入り食事ができる。
また第一病棟がとり壊され、鉄筋コンクリート地下1階、地上4階建の第五病棟も竣工される。

第六病棟
第五病棟

1987年(昭和62年)

清川謹三

清川謹三、紫綬褒章

1993年(平成5年)

病院全景

新病棟、竣工。
新病棟開設に伴い新鋭医療機器(MRI:高速X線CT:乳房X線撮影装置)を導入し画像診断の近代化を図る。

1999年(平成11年)

清川正男

清川正男、理事長就任

2001年(平成13年)

かまくらしるばーほーむ全景

介護保険制度導入に伴い、鎌倉市第1号となる介護老人保健施設「かまくら しるばーほーむ」を病院に隣接して開設。

2008年(平成20年)

地域医療の強化に向けて「地域連携室」開設

2010年(平成22年)

清川 まどか

清川まどか、理事長就任

1800年

1900年

1930年

1950年

1980年

2000年

鎌倉の歴史

1889(明治22年)

横須賀線、大船駅 - 横須賀駅間が開業

1894年(明治27年)

東鎌倉村と西鎌倉村が合併し、鎌倉町になる

1908年(明治41年)

細菌学者ローベルト・コッホが北里柴三郎博士の案内により鎌倉に来遊

1910年(明治41年)

江ノ電、藤沢-鎌倉間が開通

1916年(大正5年)11月

鎌倉駅が新築される
この駅舎は関東大震災にもよく耐えて、昭和59年に現在の駅舎が新築されるまで68年間もその役割を果たした。

1919年(大正8年)

スペイン風邪が大流行
スペイン風邪が日本中で大流行して、神奈川県下で大正8年までに29,348人が羅病し、うち727人が死亡する。

1923年(大正12年)9月1日

関東大震災
鎌倉は震源地に近いこともあって、全戸数の4分の3が全・半壊し、その上火災と津波の被害がその上火災と津波の被害が重なって、残ったものはわずかに600余戸に過ぎなかった。

大正初期の段葛

1934年(昭和9年)

第1回鎌倉カーニバル開催

1937年(昭和12年)

ヘレン・ケラー来日。鎌倉御成小学校で講演。

1939年(昭和14年)

鎌倉町と腰越町が合併し、鎌倉市となる

1942年(昭和17年)

国民医療法が制定される

1945年(昭和20年)

第二次世界大戦が終結(終戦)する

1955年(昭和30年)

国体、神奈川県で開催

1964年(昭和39年)

東京オリンピック開催

1969年(昭和44年)

鎌倉市役所新庁舎が完成

1984年(昭和59年)

旧国鉄鎌倉駅を改築。改築時に旧駅舎の時計台を現在の西口広場に移築。

2000年(平成12年)

介護保険制度施行

平成20年頃の段葛

2011年(平成23年)3月11日

東日本大震災

2014年(平成26年)

段葛、石積みの修復と枯れた桜の植え替えのため整備工事が行われる。

改修後の段葛

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